ようやくサシバがやってくる季節になった。
この時期は、渡ってきたばかりなのでエサ取りに忙しく、遭遇の機会が増える。
電柱サシバもよく目にする。
すると、運が良いと飛び出しも撮れる時がある。
飛んでいる機会もソコソコにある。
地上から撮っても加減がよいと背打ちも撮れるが今回は無理だった。
これから繁殖して秋に渡っていくまでのサシバとの付き合いが始まる。
ある管理人の生息領域の撮って出し
3月30日 土曜日。
今日は逢えるだろうか、そんな思いを胸に朝の7時15分、サシバの里に向けて出立。
途中事故渋滞などの影響もあり、到着は10時50分頃。
ご覧のとおり田圃状態は先週と殆ど変わりません。気温は先週より少しは暖かい感じがします。
さて、いつものコースを巡回してみましたが、先週と同様にまるで姿を見ません。
ワタリの速報ではかなり数が出ているので期待していたのですが、出足が遅いのかと感じました。
実はここ2シーズンくらいは同じコースばかり巡回していたので、今日は違うコースを回ってみました。
今までのコースをIコース、違うコースをSコースとします。
併せて大体10から12くらいのサシバの縄張りと思える区画を回ることになります。
1度目のIコースは坊主でしたが、Sコースに入るなり、電柱サシバを発見。取りあえず一回りと言うことで写真は撮らずに移動。
するとSコースの方で4エリア位でサシバの姿を確認。
特に、コースの最後の方のエリアでは番と思われる2羽のサシバを確認。
こちら側は既にワタリは終わりかけている感じです。地域によって差があるのかもしれませんね。
リターンして今度は少しシャッターを切ってみました。
まだ営巣するに至っていないようですが、取りあえずその姿を確認することが出来ます。
追伸:
写っているのはメスでした。Sコースの方にもメスが入っていましたね。
Sコースの方はオスが既に入っている感じです。メスの姿が見えません。
1カ所で番と思われるサシバを見たのですが、写真に収めることは出来ませんでした。従ってオス同士の縄張り争いなのか番なのかの判断は付きかねます。
相変わらず従来のIコースはサシバの出がありません。
15時頃キャンプ場の近くのスーパーマーケットで買い物をしてキャンプ場へ。
本日はオートキャンプ那珂川ステーションです。
今日はテント張りはせずにロッジを借りました。荷物を減らしたいのと夜半から雨が降るとの予報が出ていたからです。
キャンプ場は快適でした。今度は河川敷の方のフリーサイトにテントを設営してみたいと思いました。
3月31日 日曜日。
翌日は今まで出が無かったIコースからようやく初見参です。しかもメスです。
続いてIコースからもう1個体。こちらはオスでした。
電柱サシバなので少し近づいてみました。こちらに眼をくれています。こうして見るとカエルや蛇を食べていてもやはり猛禽の面構えですね(笑
中々良い飛び出しを撮らせて呉れました。
狩りをするかと期待したのですが、さんざん管理人達の回りを飛んで何処ともなく視界から消えていきました。
こうして枝止まりしているサシバの表情はワタリでは見ることが出来ません。こんな何気ない姿が段々と日本から消えていくのはとても淋しい気がしてなりません。
番らしいサシバがいるSコースにもどり少し距離を置いて観察することにしました。
狩りに成功したようですが、遠すぎて写真にはなりません。
この場所は距離がありますが、観察にはむしろ向いている気がします。視界が広く取れるのでサシバの動きがよく分かります。写真には不向きでも観察に向いている場所もありますね。
求愛給餌にはまだ至らないようです。ただ、もう1羽がメスかどうかが今ひとつ確認出来ません。まあ、来週来てみればもう少しハッキリするかなと思います。
2日間で10から12エリアの内、6つ(個体数は7)位のエリアでサシバが確認出来たようです。
このエリアのうち古巣があるのが3つあり、そこに新たな番が入っていないとすれば、6~7割くらいは埋まっている感じです。
一度古巣になってしまうと次の番が簡単には入らないようです。サシバの縄張り意識がどれほどのモノか分かりません。激しい縄張り争いをしている姿は見たことがありません。
ただ、昨年松之山で見たようにクマタカに対しても怯むことなく向かって行ったり、カラスに対して威嚇したりしていますから、そんな気弱なタカではないような気もします。
この地域はサシバの繁殖地としてはかなり密度の濃い場所なので縄張りのバッティングも起こると思うのですが、そのあたりの調整は地形が巧みにパーティションを作って防いでいるのかもしれません。
サシバのいそうな場所がなんとなく見えてくると、隣のエリアとかち合うような場所にはあまりサシバいない感じがしています。
実際管理人の実家の方がよほど田舎なのですが、大きな灌漑用水で開けた田園地帯では一度もサシバを見たことがありません。まあ、時期の問題もあるかもしれませんが、ゴールデンウィークには必ず帰郷していますから、全く見ないと言うことは、全く居ないと言うことではないかと思います。
なんとか春のワタリも進んで、来週は更に密度が濃くなっているかもしれません。ただし、動き自体は渡った直後の方が、頻繁に餌取りをするので観察は容易なんですけどね。
次の段階としては巣の補修、巣作り、求愛給餌、交尾、産卵、抱卵、孵化とうまく繋がっていくことを願うばかりです。
そんな期待を抱きつつ、昼に撤収と相成りました。
白樺峠ではノスリやツミなどを中心に観察は続けていますが、メインストリームとしてのタカの渡りが終わりました。
先のブログでも書きましたが、この時期「ワタリロスト」とでも言う症状になるのですが、まあ、備忘録代わりに思いついたことを書いておこう思います。
タカの渡りと言うとサシバとハチクマがメインになりますが、管理人達は特にサシバに思い入れがあります。
それは春のワタリから繁殖の期間を観察して秋のワタリを迎えるからです。
大概は一番(ひとつがい)のサシバ達の繁殖をメインに観察が進みます。
観察の中心は雛が孵るか、そして巣立つかです。
サシバは場所によりますが、三月の終わりから四月にかけて渡って来ます。
それから求愛があったりして巣が出来るのは暫く経ってからです。
サシバの番が巣で屯って居ます。雛は未だ孵っていない状態です。
追伸:
もし巣をみつけてもその近くで三脚を構えたりして長時間待機したりすることはするべきではないと思います。理由は説明する必要もないと思いますが、野鳥は程度の差こそあれ観察圧力に弱いモノです。執拗で近い距離の観察つまり人災によって巣を放棄すると言うことは間々あります。
そうなっては元も子もありません。
観察や撮影をするなら相当の距離を置いて、短時間で済ませる。そんな心がけが必要だと思います。
それにブログで何度か書いていますが、巣の近くで個体の写真は撮れるかもしれませんが、似たような絵になりがちです。
写真的には狩り場とかで撮れるモノが良いように思いますけど、まあ、これはこれで運に左右されるところもあります。
いずれにしても営巣放棄なんてことになっては困りますからその辺は心がけて欲しいところだと思います。
こんな姿をみつけたらラッキーです。おそらく飛んで行く先には巣がある確率が高くなるからです。
こんなして春に番で3羽ほどの雛が生まれるようです。管理人達が観察したのは全て3羽でした。
サシバが渡る理由の一つに挙げられる、雛が孵った後集中して餌を与えられる環境に移動するためと言うのがありますが、餌場の供給能力と雛の生育の成功率は比例すると思われます。
この里山は3羽程度が数と成功率のバランスが一番とれる数字なのかもしれません。
雛は白くてデカいヒヨコと言った感じです。
それが暫く経つと・・・
タカ(の雛)になります。この変化は人間では考えられませんね。
そこで気になるのは一番子から三番子までの成長の差。生まれた日付は殆ど変わりませんが明らかに見た目での差があります。
これは親が運んでくる餌を一番子がまず最初に摂るからでしょう。すると体格の差が少し出来ます。そうなると力関係から言って下に行くほどおこぼれが少なくなる訳です。まあ、当然と言えば当然のことかもしれません。
イヌワシは生後2週間ほどは後から生まれた雛を食らうみたいな話があります。ある生育期間を過ぎるとその習性は無くなるそうですが、自然界はかなり残酷な仕掛けを生き物の中に埋め込んでいる場合があります。
サシバはそこまでは残酷な仕掛けは埋め込まれて居ないようですが、それでも成長の差は歴然とします。
勿論親は均等に与えようとするのでしょうが、それは無理な話となるようです。
1羽顔が隠れていますが、ある時期にくれば3羽ともそれなりにタカらしくなります。そしてその成否は餌の供給具合にある訳です。
これで十分な餌がなければイヌワシのようなことが起こるかどうかは分かりませんが、かなり残酷な結果になると思います。
不必要な観察圧力によってサシバにストレスがかかり十分な補食を雛に与えられなくなる可能性もあるわけですから、繁殖期の観察は特に注意が必要でしょう。
そしてこの雛が巣立ち若になります。
これが6月の終わりから7月の初めくらいです。今年の観察対象は3羽とも巣立ちました。
中々3羽並んでいる写真撮れませんが一番子と二番子が並んでいます。こんな風景は繁殖地なら見ることが出来ますが、さすがに数十羽のサシバが並ぶ様は繁殖地でも見たことがありません。
ちなみにこんな接近戦はまず巣の近くで撮れません。巣は高い場所にあり近寄ろうにも実は無理な場合があります。高い場所にある故にそれなりの距離をとらないと仰角が適切になりません。
接近戦を望むなら狩り場でじっと静かに気配を殺して相手にストレスを与えずに待つのが吉となるようです。野鳥撮影の原則ですよね。
それで北関東あたりで生まれ育った雛が何の因果か最後に九州まで行って集まるようです。(北関東のサシバは白樺峠は行かないでしょう)
この個体はどこで生まれたかは分かりませんが、管理人達が観察した若も無事にここまでたどり着けたかどうかと思うと感慨も一入です。
この若の群れの中にいるのではないかななんて期待しますが、確かめる術はありません。
現実問題として北関東あたりではワタリの開始が早いようなのでとっくにここを通過してしまっている可能性が高いのですが、沢山の若の姿を見ることが出来れば確率的には若の生存率が高いと思えます。
この繁殖の時期のずれは地域差がありますが、稲作の時期と絡んでいるだろうと思いますが子細な調査をした訳では無いので当て推量です。
暇とお金があれば稲作の時期と移動の時期との関係性の調査をしてみたいと思いますが、1人2人で出来る話ではないですね。
ざっと簡単に春から秋にかけてのサシバの動きを見てみましたが、来年も同じように繁殖が滞りなく行われるか・・・それが管理人達のここ数年の大きな関心事の一つになっています。
ワタリのメカニズムとか色々解明されていないこともあるのでそれも興味深いですね。そしてそのうち宮古島や越冬地などにも行ってみたいとも思います。
秋のワタリが終わると少しばかり「ワタリロスト」になる管理人達です。
特に今年は金御岳に行って良い意味でエライことになりましてより深刻です(笑
2週間ほど大人しくしていたのですが、そぞろ冬の猛禽が気になり少しフライング気味ですが浮島湿原にチュウヒが来ているかどうか確認するために行くことにしました。
稲敷市の日の出時刻が(10月20日)は5時49分。
少し早いし、いるか居ないか分からないので少しばかり遅くの出立です。
それでも到着は6時25分頃。
ご覧のとおり何にもいません。
取りあえず1羽でもチュウヒを見かけたら泊まって明日の塒立ちを観察しようと言うことになりましたので、これでは埒があかないと移動することにしました。
移動してからすぐに個体を発見。カメラをセットしてシャッターを切ったのですが・・・
アオサギでした。紛らわしいですね。
その後すぐに本物のチュウヒが現れました。
遠いですがこれは間違いないでしょう。これで取りあえず今夜はこちらに泊まることにしました。後で宿に電話をします。
天気も良く日も当たっているのですが、風が結構あってこれが寒いです。もっとちゃんと防寒をしてくれば良かったと後悔。
午前中は殆ど動きが無かったですが、昨年もみかけた個体が現れました。比較的若い個体かとも思いますがどうでしょうか。
こちらを睨みながら飛んで行く別のチュウヒ。
これは餌を探しながら飛んでいると思われるチュウヒ。
器用なもんですね。
湿原の方に戻って塒入りを待つことに。
随分と色が黒い個体。チュウヒは色彩がかなりバラエティに富んでいますね。
腰の辺りが白いですがハイイロチュウヒのメスではないような気がします。背打で羽を拡げていると結構見栄えが良くなります。
塒に入る瞬間。まだ16時07分ですから結構早寝ですね。
2羽で塒にご帰還。羽の動きが揃っています。
この時間帯になると感度をそれなりに上げないと厳しくなって来ました。今日はエクステンダーを付けているので明るさも一段落ちますので余計厳しいですね。
こうなると証拠写真の域を出なくなります。まあ、それはそれでいいのですが。
月も綺麗に出てきました。そろそろ潮時ですね。
翌日は暗いうちからスタンバイ。写真は諦めて観察に徹します。
塒立ちを確認出来たのは10羽程度。最盛期の半分位でしょうか。ハイイロチュウヒは確認出来ませんでした。
それで少し気になったことが。
かつて観察小屋のあった所に野鳥カレンダーとして看板が立っています。これによると妙技の鼻でチュウヒが繁殖していることになっています。チュウヒの国内繁殖はかなり希で本当に今でも繁殖しているのか管理人は分かりません。分かりませんがもし繁殖しているとすると今朝塒立ちした個体達はここで繁殖している可能性もあるわけで、渡ってきた訳ではないと言うことになります。
ネットさらっと調べてみたのですが真偽の程は分かりませんでした。まあ、繁殖の時期に来て確認すればいいのでしょうが、営巣地は違うところになるかもしれませんので難しいかもしれませんね。それにもしここで同じように塒立ちをしているとしたら、繁殖の時期はとんでもなく早起きをしなければならなくなり結構厳しいでしょうね。
まあ、それは来年の宿題として、今季もチュウヒ達に逢いにここに何回かは通うことになりそうです。
そんなこんなで塒立ちを確認してここら辺りを一回りまわって早い時間の撤収と相成りました。
金御岳3日目
本日は4時30分起床。
やはり真っ暗ですが、今日は平日(火曜日)なのでさすがに祝日ほどは混まないだろうと思い少し遅めの出立。
5時30分頃到着。
昨日より30分ほど遅い到着ですが、平日でも混み具合はあまり変わりません。
昨日の場所の隣くらいの位置を確保。
それでも日の出まで結構な時間があります。
日の出頃の風景。
もう少し拡大すると・・・
良い陽気です。天候も上々のようです。今回の金御岳はともかく天候には恵まれました。
さて、第1便は・・・6時10分頃。写真にはなりません。
ようやく6時30分ころまだ西側の暗い空にシルエットが見えました。
そして東の空を見ると・・・
すでに多くのサシバ達が飛び出していました。渡って行くと言うよりは塒から出てきたと言った感じです。
この時間から活動すると言うことは今日は何処まで飛んで行くつもりなんだろうかと思います。回りの人の話だと洋上飛行にはなるらしいですが、はっきりとは分かりません。
メスの成鳥。結構近くを飛んで呉れました。
都城の街を背景にタカ柱が上がって行きます。なかなかの光景です。
若ですが、谷底から飛んできて・・・
松の木に止まります。そして次から次へと似たように飛んできては止まります。
これも若ですね。
一枚の絵の中にこちらは7羽ほど止まっていますが、こんな感じで何十羽と回りの木にサシバが止まっています。昨日どころの数ではありません。はるかに多いです。
殆ど若のようです。初めての渡りで珍しい光景に興味津々なのか・・・まあ、今までに見たこと無い景色であることは間違い無いでしょう。
それにしても本当に凄い光景でした。
この密度で止まっているって繁殖地でもなかったですね。巣立ちの後しばらくは若達が3羽位は近くに止まっていることはありましたが。
追伸:
金御岳サシバコメントより引用させてもらいます。
2018年10月9日(火) 快晴 のち 晴れ 気温20℃(6:30) 東の風・弱
金御岳のサシバとしては歴史的な凄い日となった。6時、雲海が市街地の上に薄い層をなしている。霧島山の新燃岳の吹き出す水蒸気の高さがいつもよりはるかに高く、その高さ300m。何とビックリ! ギャラリー前の谷の斜面とその稜線、稜線裏の谷に50羽、更にカウント展望台の右横の谷にも50羽程が留まっている。金御岳で100羽ものサシバが留まっているのを見るのは過去34年間で最高。
・・・略金御岳とは言えこんな光景は滅多にないと言うことでした。(と言うより観測開始以来初めてのこと)
朝日を浴びて渡っていくサシバ。これは成鳥(メス)でしょうか。
まあ、写真に撮ると言うよりは回りがサシバだらけになっているのを楽しむと言う感じです。写真的には必ずしもいい光加減でないのですが、明るい空にサシバ達が溶け込んでいく風景はなんとも言えない感慨があります。
飛んでいる途中に飛んでいるバッタ(?)を捕まえた瞬間。いぁ、これだけ飛んでいるとこんなシーンにも遭遇する確率は高くなるんですね。あら、珍しやです。
首を捻りながら器用に飛んでいる姿。これさっき獲った虫を食べているようです。本当に器用なサシバですね(笑
所謂「背打」です。
この頃になるとタカ柱を見ても写真に撮ろうとは思わず結構動画で撮ってみました。あまり上手くは撮れていないですが、やはり写真より雰囲気は伝わるかもしれませんね。そのうち編集してまとめたいと思っています。
タカ柱は次から次へと上がります。今日もかなりの数が渡っていくようです。
本当は写真なんかに夢中にならずに直に目で見てこの光景を脳内記憶に焼き付けた方がいいのかもと思いながら、悲しい性ですね・・・やはりシャッターは切ってしまうのです(苦笑
タカ柱用に焦点距離の短いカメラも持って来ましたが、金御岳は写真をとるならこれは必携ですね。まあ、駐車場が観察・撮影の場所なので機材が多くても苦にはなりません。
渡りの場所としてはそこそこ近い個体もいてくれました。まあ、大接近戦は無かったですから、それに関して不満があるカメラマンもいるかもしれません。が、あの夥しいサシバの飛来を見ているとそんなこと忘れてしまうのではないでしょうか。
ここでなければ見られない風景が確実にあると感じた次第です。まあ、観察隊の方も言っていましたが、金御岳でもこんな光景は初めてとのことですから、これを当たり前に思ってはいけないのでしょうけど。
それにしても堪能しました。飛行機の時間も気になりますので11時少し前には名残惜しいですが、空港にレンタカーを返しに行くことにしました。
10月9日 2767 累計 17399
管理人達が滞在した3日間で1万に近いサシバが渡ったことになります。
こうなると今回の金御岳行きは今までの外れを何倍もの利息を付けて返して貰ったような渡りのウォッチングになりました。
おそらく生涯でこんなことは最初で最後だと思うのですが、人間は欲深い生き物です。また、来年・・・そうは問屋が卸さないと思いながら、ふとそんなことを思いながら、宮崎の地を後にすることになりました。