春近し・・・野焼きごとの暖かさ Part2

野を焼く、野焼きですよね。普通はこんなことしたら犯罪です。付け火の罪は昔から重いのです。ですから火の取り扱いには十分な注意が必要な訳です。さて、こちら側も火の手が上がりました。

公示された開始時刻は8時半ですが、細かいことはこの際抜きなんでしょう。状況が宜しければそれなりにと言うことなんだと思います。それにしても葦は良く燃えますね。着火の具材として良く使われるようですが、成る程と思います。しかし不埒な奴がいて火付けをしたら一溜まりもありません。つまり、定例どおり野焼きが行われるということは、そのような不心得者が一年間居なかった証にもなるのでしょう。

目の前を火柱が走ります。熱風が頬を撫でます。比較的風が穏やかなので「撫でる」程度なのかもしれませんが、一瞬この火が暴れたらと不安に思うこともあります。勿論、見てのとおり手前は葦が綺麗に刈ってありますから、燃料がないわけでこちら側には物理的に火が回る心配はないのです。

余談ですが、このような火の動きを見ていると、防火帯がいかに必要かと言うことが分かります。当たり前ですが、火は燃料が無ければ燃えません。つまり、燃える具材の無いところに火は移りようが無い訳です。つまり普段なにげに通っている道路が実は火の回りを止める防火帯の役目も担っている・・・こんなことは大人の常識なんでしょうが、改めて感じます。

実際に焼け野原を見ることは管理人達も含めてまずないと思いますが、まさに焼け野原。ある意味清々しいくらい綺麗にものが無くなっています。無くなったものが葦原ですから見通しが良くなります。そしてこれがこの土地の再生に不可欠なんでしょう。

ただ、ちょっと気になるのは自生してる木です。燃えて無くなるじゃないかと心配する人もいるかと思いますが、まあ、これが案外平気。生木を焼くほどの火力が葦原にはないんですね。その辺りも計算済みと言ったところでしょうか。

確かに表面は焦げますが、存在を脅かすほどのことはないようです。そしてこれで陽が地面に満遍無く行き渡るのでしょう。

さて、この黒い焼け野原とは対照的に菜の花が綺麗です。

時期なんですね。春が近い。菜の花は春の花と言う印象はありません。春近しと言った印象です。もっと細かく言えば梅と桜の間を繋ぐ花という感じですか。

美しい菜の花の向こう側に見える焼け野原。この対照的な写し絵が渡良瀬遊水地に春を告げるのでしょう。写真では伝わりませんが、実はこの辺り一帯が焦げ臭いのです。でも、それも春近しの風物詩の一つなのだと思います。

単純に見た目が綺麗なモノだけが存在してくれればいいのかもしれませんが、そうではないのが自然です。その自然を受け入れつつ、次の為の再生を行う。それを幾世代も繰り返してきた人間の知恵もあるのでしょう。自然とは本来残酷で過酷なものです。それとうまく共生して行くには人間側の知恵が必要です。それを垣間見ることができる野焼きの風景かな・・・なんて柄にもなく考えてしまいました。

0 0 votes
Article Rating
Subscribe
通知する
guest

0 Comments
Inline Feedbacks
View all comments