GW in FUKUSHIMA Part4

 小名浜にはアクアマリンフクシマがあるのですが、これも被害を受けて未だ営業は出来ないようです。

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 小名浜漁港に入ると大津漁港と同じで未だ漁業は再開している気配はありません。休みのせいもあるでしょうが静かですね。

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 外国から来た人に三人組が丘に乗り上げた船をバックに撮って欲しいとのことでシャッターを押すようにたのまれましたが、観光客と言っていいかは分かりませんが、他見からの訪問者はそれほどはみかけません。本来は観光地でもあるのですから、本当なら相当な人出があるはずなのですが。

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 観光案内所も海鮮レストランもご覧のとおりですから確かに観光と言ってもなんともならないのかもしれません。写真には撮りませんでしたが、コンビニも被災して営業していませんでした。

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 港の機能を取り戻すまでにかなり時間がかかるようですね。

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 何故か鍵がここに集まっています。

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 港沿いにある建物は流されているわけではないのですが、御土産やにしても魚屋にしても営業をしている気配はありません。他の東北の観光地ではゴールデンウィークに間に合うように営業を開始している場所もいくらかあるようですが、ここは未だ無理のようです。

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 大津港と同じで壊滅的な被害とは言えないのかもしれませんが、結局は使えない建物が残っていると言った感じです。観光客も戻ってくるまでには相当な時間がかかるのは間違いないと思います。いずれにしても今回の震災の被害の範囲は途方もなく広く人々の生活に与えた影響は計り知れません。それでも瓦礫を片付けためにダンプカーが休みにも関わらず動いていました。見たところ自衛隊が中心になっているような感じではありますが、歩みは遅いかもしれませんが、確実に復興、再興に向けて動いていることは間違いないようです。

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 我々に出来ることは僅かなことかもしれませんが、関心を失わないというのも大事なことだと思います。これからも福島に帰る機会は多々ありますので鳥ばかり追いかけていないで震災のことも忘れずに出来る範囲で記録していきたいと思います。

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 続く・・・

GW in FUKUSHIMA Part 3 小名浜へ

 大津漁港近くの魚屋さんに寄り、買い物を済ませて小名浜に向かいます。道々、段差を応急的な処置でなんとか車が通行出来るようにしている場所がありました。震災の当日はこれではまともに車は走れなかったことは容易に想像できます。

 さて、小名浜に到着して工場群を抜けていると妙な光景に出くわしました。はじめそれがなんことかすぐには理解できなかったのですが・・・

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 信号機としては動いているのですが、やけに電柱の背が低いのです。当然それにあわせて信号の位置も低いわけで、通常なら大型車が信号機の下を通過が出来るはずなのですが、ご覧のとおり信号機の下は車は通行出来ません。広い道路なのでこれで特に問題は無いのでしょうが、さすがにこんな光景は初めて見ました。

 小名浜にはかなり大きな工場もあります。これらも相当な被害を受けた模様です。

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 倉庫もどう見ても使える状態ではないようです。

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 津波で流された船を巨大クレーンを使って移動するようです。人が立ち入らないように警備員が配置されています。

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 続く・・・

GW in FUKUSHIMA Part 2

 ところどころ地盤もおかしなことになっています。

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 陥没もあります。

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 艀もひび割れて崩れているところもあります。

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 恐らく津波の引き潮のときに流されたと思われる漁船。

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 片付けきれない様々な漁具や道具。

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 建物が根こそぎ流された津波の映像をさんざん見ていたので、一見すると建物が残っているこのあたりは大した被害ではないのではと錯覚してしまいそうなのですが、実際現地に来て見ると分かりますが、そんな生易しい状態ではありません。建物は残っていても使える状態ではありませんし、いまだに片付けきれない様々なものが所狭しと置かれています。

 通常の生活に戻るためには恐らくこの辺りは一回更地にしないといけないのではないかとさえ思えます。つまり今建っているものはむしろ再建の妨げになるのではないかと心配されるのです。一切合切を流されてしまったところは非常に悲惨ではありますが、中途半端に使えない建物が残っているのもパッと見では分からない大変さがあるのではないでしょうか。報道ではありまこのあたりの被害は伝えられていませんが、震災の爪あとはしっかりと大きな傷として今だ残っています。

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 管理人が撮影している間も何台かの他県ナンバーの車が来ていました。聞くところによると、他県には住んでいるがこの辺りの出身の人が多かったようです。

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 ただ、ご覧のとおり大きなクレーンも入っているようなので着実に復興への作業は進められているような感じはします。ですが、まだまだ道のりは遠いなと感じざる得ないです。

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 続く・・・

GW in FUKUSHIMA Part 1

 今年のゴールデンウイークは福島に行くことにしました。一昨年のゴールデンウイークも福島に行ったのですが、その時は野鳥に関してはあまりこれと言ったものも撮れませんでしたが、今年は少しはなんとかしたいとの期待を込めての遠征です。

 もっとも、福島に行くといっても拠点となるのは管理人の実家です。これだと宿代がかかりませんので非常に経済的です。本当は震災支援の名目で宿をとっても良かったのですが、実家の近くでわざわざ宿をとるのも如何なものかということで、其の分何か買い物でもしようと言うことになりました。

 まず震災の被害はどんなものであったか、特に津波の被害はということで、天皇陛下もお見舞いに行かれた、(茨城県の)大津漁港と小名浜に行くことにしまた。物見遊山と言う訳には行きませんが、やりはこの目でしっかりと見ておきたいという思いがあってのことです。

 実家から移動の途中目に付いた高圧線の搭。

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 のどかな田園風景の中にあまりマッチした図とは言えませんが、福島原発から首都圏へ電気を送る高圧線だとか。あまり知られていないようですが、送電のロスと言うのがかなりあるようで、そのために余計に原発を作る必要もあるのだとか。当然今はこの高圧線に電気は流れていないと思われます。

 大津漁港に向かう国道が震災の影響で通行止めになり迂回をしてようやく到着。漁港は静まり返っていました。

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 勿論祝日ですから休みで静かではあるのでしょうが、ご覧のとおりガランとした漁港は森閑としてまるで活気がありません。休日でやっていないというのとは根本的に違う静かさです。

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 震災から一月半以上経っていますから、それなりに片付いてはいるのでしょうが、それにしてもこれでは漁業が再開出来る状態ではないことはこの場所に立ってみれば一目瞭然としています。

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 市場の事務所も建物は辛うじて残っていますが、とても使える状態ではないようです。

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 続く・・・

 

震災から半月・・・

震災から半月程が経ちました。横浜あたりはいくらか落ち着きを取り戻し普通の日常に近くなってきていますが、被災地ではまだまだこれからでしょう。四月も近いと言うのに寒い日が続き、桜の花の便りも殆ど聞かれません。斯く言う管理人もあまり鳥見にも出かけられず、今年の春は随分と静かに過ごしていると言った感じです。

 一昨日、洗濯機が壊れました。炊飯器も古くなったのでそれも買い替えの必要があるので、ヨドバシカメラに出かけました。九時半の開店と同時くらいに入店したのですが、入ってすぐのところに人だかりが出来ていました。何気に覗くと、市中のスーパーやコンビにでは売り切れの単一、単二などの乾電池を販売員が直に売っているのです。お一人様一点限りだとか。管理人の家ではエネループの単三の買い置きがかなりあるのでそれほど不自由は無かったのですが、単一を三本使うLEDのランタンをたまたま持っていたのでこの際だからと思い、管理人が四本セット、管理人のワイフが二本セットで計六本程買い求めました。午前中には売り切れていたようで、この電池需要は計画停電が続く限り、暫くは続くでしょう。

 こんな場面で何気に震災の影を感じてしまいます。そうそう、そのヨドバシにいくのに電車に乗るわけですが、駅などのエスカレーターは節電のために殆ど休止です。これも震災の影響ですね。明かりも落としているので全体的に暗いのも節電のため。これはいたるところで感じます。こうしてみると何気にですが、日常のいたる所に震災の影響があることを感じます。

 つまりは電気という奴は決して自然発生している訳ではないことをこの際に思い知らされていると言う事になるのでしょう。そして人々が望むだけの電気を望むままに供給するためには原発も必要であったと言う事になるのでしょう。震災でこの無定見で無定量な事がいかにリスクが大きいかを思い知らされたとも言えます。

 だからと言ってすぐに原発を止める訳にもいかない現実もあります。管理人も基本的には原発に依存することは最小限であるべきだとは思いますが、止めてしまえとは思いません。勿論、原発より安全で且つ効率的でクリーンなエネルギーがあればそれに越したことはありませんが、まだその段階にまで科学の力は進んでいないようにも思います。

 いずれにしても今回の震災で色々なことを考えざる得ない状況になったことは間違いないでしょう。これを奇禍として今後どうするのかすべきなのか、人によって色々な思いや意見があることと思いますが、少なくても今までの通りでいいと思う人はあまりいないと思います。

 まあ、日本人の底力と言いましょうか、戦後の焼け野原から復興してきたことを思えば、なんとかなるとは思います。ですが、戦後散々に甘やかされてきた我々にとって先達がなし得たことをおいそれと真似できるかどうかは、少しばかり懐疑的にならざる得ないところもあります。それでも何とかしなくてはならない訳で、同じ日本人ですから、出来ると今は信じたいです。